長崎へ旅行に行ってきました。(3日目:最終日)
皆さん、こんにちは! Xactifansです。
今回は、長崎旅行編の最終回です。
3日目は、楽しみにしていた軍艦島ツアーです。
コロナや天候の影響で、軍艦島に上陸できない可能性もありましたが、この日は無事に上陸を果たすことができました。
今回利用させていただいた軍艦島ツアー会社は、「軍艦島コンシェルジュ」さんです。
選んだ理由は、「軍艦島デジタルミュージアム」を併設しているところです。
※「軍艦島デジタルミュージアム」は、軍艦島の歴史や文化と最新のデジタル技術を融合していて、VR体験などができる体験型ミュージアム。
軍艦島上陸にあったっては、まずは軍艦島の歴史などを ここで勉強していった方がより楽しめると思い「軍艦島コンシェルジュ」をチョイス。
ミュージアム見学でます思ったのは、過去(10年ぐらい前?)に見た軍艦島のドキュメンタリーの知識だけでは、確実に知識不足であると痛感しました。
軍艦島はの本当の名前は、「端島」って言う事も忘れてたし、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅がある事も忘れてたので。。。。
皆さんも、軍艦島ツアーに行くなら「軍艦島コンシェルジュ」さんで、「軍艦島デジタルミュージアム」で歴史などをおさらいしてからの方が良いと思います。 そうすることで、より軍艦島へ上陸した時の感動が大きくなります。(人それぞれですけどね。。)
軍艦島ウィキ抜粋
端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧西彼杵郡高島町)にある島である。明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、1960年代には東京以上の人口密度を有していた。しかし、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。「羽島」とも書いていた。日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅がある。
端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧西彼杵郡高島町)にある島である。明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、1960年代には東京以上の人口密度を有していた。しかし、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。「羽島」とも書いていた。日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅がある。
2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。
と言うことで、
朝早く、「ホテル日航ハウステンボス」を出発し、「軍艦島コンシェルジュ」近くの駐車場にレンタカーを停めて、まずは「軍艦島デジタルミュージアム」へ。
軍艦島の一般住宅の間取り。
こんな狭いところに家族全員が寝起きしてたんですね。軍艦島のピーク時は、東京以上の人口密度だったとか。。。
この部屋に自分が、家族で住むとなると、ちょっと無理かな? (一人の時間をこよなく愛するおじさんなのでW)
ちなみに、テレビ写ってますけど、この時代のテレビってかなりの高級品だったようで、日本全国のテレビ普及率が7.8%だった昭和30年代に、軍艦島では、普及率がほぼ100%だったようです。
それもそのはず、軍艦島の炭鉱で働く人の給料が桁違い、高卒初任給が6万円だった時代に、なんと10倍の60万円だったとか(ガイドさん情報)。
集合住宅の模型。
軍艦島模型(夕日)。
軍艦島模型(夜)。
このほかにも、「軍艦島デジタルミュージアム」内を色々見学してから、ツアー船に向かいます。
ツアー船の停泊場所に近づくと、頼りなさそうな小さな船が見えてきました。
まさか?これで?海に出るのか? この大きさだと波のうねりの影響を受けて、船酔いしそうと心配になりました。
まさか?これで?海に出るのか? この大きさだと波のうねりの影響を受けて、船酔いしそうと心配になりました。
でも、案内されたのは、こちらの大きなクルーズ船「ジュピター」。良かった、これなら船酔いしなさそう!
「ジュピター」船内の席は、こんな感じ。
出港から到着までは、専門ガイドさんが前面のモニターを使って、航路にある三菱長崎造船所関連施設の話や、軍艦島の歴史などをお面白い話を織り交ぜながら説明してくれるので、時間を忘れて、あっという間に軍艦島に到着します。
軍艦島が見えてくると、船が島の周りを一周しながら島の建物についてガイドさんが説明してくれます。この時間を利用して、船から見える軍艦島を写真に収めます。
で、その時に撮影した写真で、一番できの良い軍艦島写真がこれ。確かに、軍艦みたいに見えますね。
写真タイムが終了したら、いよいよ上陸です!
前日は雨で、海も荒れてたみたいなんですが、この日は晴天で無事に上陸できました!
ただし、ここで解ったことですが、軍艦島は建物の損壊が激しく、上陸してもツアーで回れる場所も限られています。
軍艦島の地図(ウィキ出典)。赤色が見学できるコース(場所)です。
まあ、それでも、ガイドさんの話を聞きながら「軍艦島の暮らし」を想像して、ノスタルジックな気分にどっぷり浸れました。
ここから、上陸してから、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅で、「30号棟」と呼ばれる建物までの写真が続きます。
船着き場(ドルフィン桟橋)横の写真。
船着き場から「3号棟」辺りを見上げた写真。
少し進んで「3号棟」辺りを振り返った写真
「二坑口桟橋」あたりの写真。
「総合事務所」あたりの写真。
「製缶場」あたりから「30号棟」を写した写真。
第3見学広場から「30号棟」を写した写真。ここが一番「30号棟」に近い場所です。
皆さんも、見学に行くなら、なるべく早い時期に行った方がよいでしょう。
最後に、第3見学広場から戻る途中に、ガイドさんから聞いた衝撃の事実と写真。
ガイドさん曰く、明治に埋め立てられた石積みが世界遺産に登録されているところらしいです。
ガイドさん曰く、明治に埋め立てられた石積みが世界遺産に登録されているところらしいです。
※写真の茶色い土と石でできた部分
島全体が、世界遺産登録されたわけじゃ無いんですね。。。。
短い上陸時間でしたが、軍艦島を満喫できました。
軍艦島ツアーを終えて、船を降りると、ちょうどお昼時。
お昼は「軍艦島デジタルミュージアム」近くのちゃんぽんで有名な「四海楼」へ
もちろん「ちゃんぽん」頂きました。とっても美味しかったです。
昼食後は、「四海楼」から歩いてすぐの「出島」へ
小学校で教わったときは、もっと広く大きい場所と思ってたんですが、意外にこじんまりとしていました。
出島に渡る橋。
橋からの出島を写した写真。
出島の仲通り?
当時を復元した部屋
出島の中にある出島の全体像が解る「出島のミニチュア」
今回写真以外にも、色々と見学する場所があって、島全体が狭い割には結構楽しめました。
特に「竜馬のピストル」「髭皿」「昔のビリヤード台」など、歴史的勉強になるものも多かったので、歴史好きにはマストな場所ですね。
さて、楽しかった長崎旅行もそろそろ終焉です。
出島から、レンタカーを停めておいた駐車場ります。
駐車場に戻る途中に、「長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館」を発見。
でも、飛行機の出発まで時間がないので、外観を撮影するだけにとどめました。
この後は、空港近くでレンタカーを返却し、帰りの飛行機に登場です。
帰りの飛行機では、二人とも爆睡です(笑)。
と言うことで、楽しい3日間の長崎旅行は終了を迎えました。
今日は、この辺で!
アディオス!
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